『中国医学小説~サツマイモご飯と鶏肉のカシューナッツ炒め~』
「ただいま〜… あれ?真くんいないの?」
おかしい。今日は早く帰ってくるって言ってたのに。
昨日で長かった繁忙期が終わって、今日こそは定時で上がるとあんなにも意気込んでいたのに。
しかも今日は私たちが付き合って3年記念日だ。
もしかして隠れてる?サプライズ?
踏み場のない玄関土間の隙間に買ったばかりのグリーンのパンプスを収め、ドキドキしながらリビングのドアを開け、電気をつけた。
誰もいない。
「やっぱ定時で上がれなかったか…。」
仕方なく買ってきたビールを飲もうと手を洗いにキッチンへ向かった。
シンクには洗ってない食器が山積みだ。
(いつの食器だっけ。汚ね。)
毎日そう思いながらも、次の週末までと溜まっていく一方だった。
洗濯物で山積みになったソファーを背もたれに、テーブルの上に転がる化粧品を脇に寄せてビールを開けた。
「あーうま。連絡ぐらいしてくれてもいいのに。」
その時、今日コーディネートされなかった服の山がベッドからどさっとずり落ちた。
「あぁ…」
さすがにスーツはまずい。それよりもこの前奮発して買ったワンピースの方がやばい。
面倒だと思いながらもとりあえずクローゼットを開けると、真くんの服が消えていた。
「え…」
私は笹井のどか32歳。都内でMRとして働いている。
半同棲していた同じ職場の先輩である真くんとはこのまま結婚するものだと思い込んでいた。
けれど、どうやらまた逃げられたらしい。
そう、今回で彼氏に出ていかれるのは3回目だ。
自分で言うのもなんだが、仕事はきっちりできて成績優秀。けれど、本当は超ズボラで面倒くさがり。やりたいことだけやりたいマイペース人間なのだ。
それが祟って、付き合いが長くなるといつも同じように振られる。(逃げられるのほうが近いかもしれない。)
「こんな私でも良いって言ったじゃん…」
泣けてきた。
逃げられるたびに改心しようとしたし、付き合った当初はめちゃくちゃ努力した。ズボラなところを指摘されたら直そうと何度も何度も頑張ってみた。
でも、やっぱり続かないし、この性格は治らない。
もう一生一人なのかと、涙が溢れてきた。
好きでこうしてるわけではない。本当にどうしようもないのだ。
でも、さすがに今はこの雑多な部屋で過ごす気にはなれない。
とりあえずSNSで話題の失恋ソングをかけながら部屋の大掃除をした。
よく眠れないまま朝が来た。
とてつもなく出勤したくないけれど、行くしかない。
(真くんと出会ったら気まずいなぁ)
そんなことを考えながら会社に着いた途端、上司に呼び出され、失恋後一発目の仕事が部下の謝罪同行に決まった。
暗い顔を一切見られることなく淡々と告げられ、複雑な気持ちを整理する間も無く落ち込む部下を連れて病院に向かった。
仕事に集中して忘れよう。
なぜか無敵になった気分だった。
部下の謝罪はものの15分ほどで終了。無敵状態の私は何も怖くなかった。
次のアポは開業医である大好きなおじいちゃん先生。
アポまで少し時間はあったが、先生ならいつものようにお茶を入れて世間話してくれるだろうとその足で向かった。
「先生、すみません。少し早く着いてしまいましたがよろしいですか?」
「笹井さん、こんにちは。もちろんいいですよ〜。お茶入れるね〜。」
癒されるなぁ…
このくらい年上だったら私のこと全部受け入れてくれるのかなぁ。
「笹井さん、寝不足ですか?」
「あ、ばれました?」
先生はにこにこと頷き、何があったのか話しても良いという雰囲気を自然と出してくださった。
「実は昨日、彼氏に逃げられまして…」
もはや茶飲み友達の先生には彼氏のことも話したことがある。
昨日のことも「あらあら」と相槌を打ちながら親身に聞いてくれた。
「私、病気なんですかね?面倒くさがり病というか。なんなんですかね?これ。」
「あははは。病名がついて、その薬があれば、こんなことにはならなかったですね。」
「ほんとそうです。はぁ…」
その時、診察室の扉がノックされた。
「あら?」
「失礼します。今中です。」
「あらあら、約束今日でしたか?すみません、明日だと思い込んでいて…」
「いえいえ、こちらこそ来客中に申し訳ございません。」
「あっ、では私こちらで失礼させていただきます!」
正直、今日私は先生に商談するつもりはなかった。失恋と寝不足から仕事のやる気が全く出ず、とりあえず癒してくれる先生に会いに行こうと今朝アポを取っただけだったのだ。
しかし、帰ろうとする私に今中という医師らしき方が話しかけてきた。
「あの…面倒くさがり病の薬、ありますよ?」
「えっ?」
「すみません、少し聞こえてしまったもので。」
「わはははは。そうですね、中医学では薬がありますね。」
私は訳がわからなかったが、この中医学の先生なら私のこの厄介な性格も直してもらえるんじゃないかとその場で診察の予約をした。
帰り道、名刺を見ながら先生の病院について調べてみた。
「東洋医学か…。正直東洋医学はよくわかんないんだよな…」
というものの、先生のブログが面白く、その日はカフェで一日中先生のブログを読んでいた。
「病気は胃と脾臓が根本的な原因…って、何それ!
未知すぎるんだけど…」
MR歴10年、医学的な知識も多少はついてきたと思っていたけれど、目から鱗の話ばかりだった。
それから診察日までの3日間、ずっと先生が発信する中医学の情報を読み漁った。私はすっかり夢中になり、また部屋が荒れていることにも気が付いていなかった。
そして診察日当日。
わくわくしながら荒れた部屋を掃除し、先生の病院に向かった。
「笹井さんですね、先日はどうも。」
「今中先生、今日はよろしくお願いします。あれから先生のブログやYouTube全部見ました。」
「あはは、それはすごい、ありがとうございます。」
「10年MRやってますが、目から鱗の情報ばかりで驚きました。」
「中医学ってなかなか世の中に浸透してないんで、新鮮な情報が多かったかと思います。でも、これが病気の本質なんですよ。」
「はい、なんとなく理解できました。」
「じゃあ、面倒くさい病も原因わかりましたか?」
「いえ、それは…。」
「じゃあ解説しましょうか。ちなみに今、心や体に不調はありませんか?面倒くさい病だけ?」
思わず吹き出した私は、失恋で心が弱っていないことに気がついた。
中医学に出会って夢中になっていたから忘れていたのだ。
「大丈夫みたいです。」
「そうですか、では面倒くさい病の正体をお話ししますね。
面倒くさい病は、体の気力不足なだけんなんです。気力がないから嫌なことを後回しにしがちなタイプですね。ソファーに洗濯物が山積みだったり、使った食器がシンクに溢れていたり。やる気を出すために音楽をかけたりご褒美を用意したりして一時的にやる気を出すことが多いのも特徴です。」
全て私のことだった。まるで私の部屋を知っていて覗き見でもしていたんじゃないかというほど、全てが私だった。私は呆気に取られながら聞いた。
「このひどい気力不足ってどうやったら治るんですか?」
「気力を補えばいいだけですよ。食事や外からのエネルギーです。」
「具体的には…」
「食事だと炭酸飲料や豆類、芋類など、ガスを生むものですね。外からのエネルギーは音楽を聴いたり好きなことからパワーをチャージするイメージです。好きな洋服を買ったり、旅行の計画を立てたり。これは一時的なものですが。」
「確かに、その時だけはやる気出るんですが、一つ終わるともうやる気無くなってまた今度でいいやってなってしまいます。」
「そういう女性は多いですよ。女性は陰陽でいう陰の体質なので気力不足に陥りやすいです。なので食事でしっかりと補うことが大切ですよ。そうすると買い物をしすぎたり娯楽の出費も抑えられます。」
「なるほど…
中医学ってそんなことまでわかるんですね。」
「そうです。体と心だけでなく、性格などまで全てつながっているんです。
なので、例えばオーバーワークで気力を使いすぎていたりするのを解消したり、気力を補うだけでなく気力の使いすぎを見直すのも並行して行うことで、心と体に気力を補うことができます。そうしたら面倒くさい病も解消されますよ。」
納得しかなかった。
食事はいつもコンビニか外食か食べない。真ちゃんに負けないほど私も仕事は頑張ってる。気力をめちゃくちゃ消耗していたのに、大好きな服や音楽で一時的にしか気力を補えていなかったのだ。
「だからか…」
「そうと分かったら、今日からできることから実践してみてください。」
私はわかりましたと深く頷き、先生に何度もお礼をして病院を後にした。
外は快晴。希望に満ち溢れ、まだ面倒くさい病が治ったわけではないのに清々しい気持ちになった。
その後、仕事のやり方を見直し、できるだけ残業を減らして帰れるようにした。
そして、時短家電を片っ端から購入した。
文明の力に頼ることも無駄な気力の消耗を回避する術なのだ。
食事は、週末にまとめてストックを作ることにした。
もちろん、大好きなBGMとビールに一時的な気力を補ってもらいながら。
毎日に少しの余裕ができ、家の中は割と綺麗に保つことができるようになった。
憧れていた整った暮らしを少しでもできているのが嬉しく、自己肯定感もちょっと上がった。
あとは嬉しい副産物として、仕事の成績が上がった。心も体も頭の中も余裕ができ、ものすごく効率的に働けるようになったからだろう。
そういえば風邪もひかなくなった。
先生と出会ってからいいことしかなかった。
先生にお礼をしよう。
そう思い、後日改めて先生の元を訪ねた。
・・・
3年後ーー
「ただいま。」
玄関から夫の声が聞こえた。
「おかえり!」
そう言って私は玄関に向かった。
何も置いていない玄関
最低限の物しかないキッチン
きちんと整ったリビング
そして、二人分の食事が置かれたダイニング
先生と出会い、心も体も暮らしも整った私は、あの日先生にお礼をしに行った時に出会った先生の教え子の夫と結婚することができた。
「今日はサツマイモご飯に鶏肉のカシューナッツ炒め、きんぴらごぼうに具沢山のお味噌汁だよ。ビールも冷えてる!」
「お!秋口にぴったりのレシピだね。ありがとう。」
「そうだよ、内臓の血を作ってしっかり流せるように気力チャージのサツマイモと流すためのピリ辛きんぴらごぼうを作りました!デトックスもバッチリ。」
「完璧だね!じゃあお風呂先入ってくるね。血行良くして体作っておく。」
「うん、マッサージして汗流してきて。手作り陳皮の入浴剤も入れてるから。」
そう、私たちは中医学オタクなのだ。
おかげで二人とも病気知らず。
私はあの時からは想像できないほどエネルギーに溢れ、健康で幸せな毎日を送っている。
著者:kato erika
story writer / life therapist
ブログ:https://note.com/erika__personal
コメント